「ほけんしつの先生」の視点で、思いや意見を発信していきます
平成17年3月から令和2年3月までの15年間、熊本日日新聞のリレー連載「こころノート」に「保健室のせんせい」として、年4回の記事を書いてきました。熊本日日新聞社とイラストレータの中村公子さんのご了承を頂き、その一部を紹介させていて頂きます。
怒りの苦しさを、他への暴言や暴力などでしか表せない子どもがいます。怒りを上手に処理できるように、少しずつ、その力をつけてあげることが大切です。
子どもは、その子なりの成長の速度=“パーソナルタイム”を持っています。しかし、周りから、学年や年齢といった“スクールタイム”を規準にして、その“パーソナルタイム”を否定されると、子どもは自分を否定してこのような行為をすることがあると考えられます。
その育ちの中で否定され、その傷を抱えたまま親になられたのだな…と思う方、いらっしゃいます。育ちの中でつけられた「否定」の傷を修復するのは、難しいです。また、それがその方の子どもの不安定な状況に繋がってしまうと感じます。そんな悪循環を、どこかで断ち切らねばと、ずっと思ってきました。
中学校時期のリストカットは、珍しい行動ではありません。思春期時期の不安定さに、大きなストレスや耐えがたいつらい経験が加わったときにそこから逃げるための手段として自分を傷つけるのです。そのつらさを受け止められる誰かの存在が必要です。
自分でも気づかないストレスが原因で、髪の毛や眉毛などを自分で抜いてしまう子どもがいます。その行為自体をやめさせることより、そこに至っている子どものつらさに気づいてあげることが大切です。
「嘘をついてはいけません!」と、作り話を叱ることより、嘘をつかねばならないその子の背景に目を向けることこそ大事なのだと思います。
乳幼児期に、特定の人との間に形成する情緒的結びつきのことを「愛着(アタッチメント)」と言います。健全な愛着が形成されると、安心感・安全感を持つことができ、自分自身を認めて、円滑な人間関係を作ることができるようになります。逆に愛着の形成が十分にできないと、情緒が不安定で良い人間関係を結べず、生きにくさを抱えるようになります。ネットに居場所を求める子どもの多くは、後者のような子どもが多いように思います。
2010年の記事になります。記事では、色々なことに配慮して脚色して書きましたが、「こんなことが、あっていいのか」と驚く程のできごとでした。現在、ネットは生活から切り離せないものとなりました。しかし、子どもの成長の過程で身に付ける社会性は、やはり、リアルな人との関係の中で育まれると思うのです。
前の記事から、10年近く経った今の子どもの現状です。ネットの中でバーチャルな生活体験をする子ども。現実とうまく切り分けている子どももいます。しかし、ネットの中だけが居場所の子どももいて、やはり、そんな子どものことは、心配になるのです。
育ちの中でつらい体験が子どもの心を傷つけ、不登校などの形で現れることがあります。その子どもが抱えるつらさを理解し、寄り添い支える誰かが必要です。
コンプレックス、コミュニケーションの不得意、不安 … 様々な心の不具合から、自分を守る鎧(よろい)として、マスクを常につけている子どもがいます。心の不具合へのSOSとして、子どもの心に気持ちを傾けていく必要があります。
「虐待が、脳を傷つける」 記事でも紹介している書籍「子ども虐待という第四の発達障害」(杉山登志郎著 ヒューマンケアブックス)に出会った時の衝撃は忘れられません。そして、このことの出会いで、それを目の当たりにしたのです。
「子どもの幸せのために」と考え、結果的に無理を強いてしまう親がいます。しかし、その「幸せ」は、子どもにとっての本当の「幸せ」なのでしょうか。親の価値を押しつけるのではなく、その子の個性を認めること、そして、子どもに自己決定と試行錯誤の経験をさせることが、その子らしい自立に繋がるのです。