一筆

2020年7月〜9月に熊本日日新聞に週1回(全11回)の連載を行った「一筆」には、その時々の思いや主張を書きました。養護教諭について、性の問題について、子育てについてなど、様々な内容を取り上げました。丁度コロナ禍であったこともあって、その頃の社会や学校の様子についても書いています。ご興味のあるタイトルから読まれてください。

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各記事は、以下の目次の順に上から掲載しています。記事毎にタイトル名を青枠で示していますので、下方にスクロールし読みたいタイトルを探してください。 

目次

◎養護教諭という仕事

◎子どものために、何を(コロナ禍に思う)

◎「ヘルスリテラシー」を育む

◎「コロナごっこ」への対応(安心を与える)

◎ 健全に生きるための性教育

◎ 性イメージの形成

◎ マルトリートメント

◎ 困難を解決する力

 

  養護教諭という仕事  2020.7.9掲載

私は、人生の半分以上を養護教諭として過ごしました。多くの人に、養護教諭について知ってもらいたいと思い書いた記事です

 

私は、昨年3月までの38年間、小中学校の養護教諭として仕事をしてきました。退職後、現職の時にはあまり意識しなかった自分の仕事の価値と、この職に就けたことの幸運を実感しています。初回である今回は、この「養護教諭という仕事」について書いてみたいと思います。


  養護教諭は、一般に「保健室の先生」と呼ばれており、保健室に来た子どものケガや病気のお世話をする人だというイメージが強いでしょう。しかし、それが仕事の全てかというと、そうではありません。実は、養護教諭という職は、日本独自のものです。他国には、同じような職としてスクールナースが配置されていますが、その役割は、投薬等の医療的な処置や相談が中心で、何校かを掛け持ちで仕事をしている場合も多いようです。一方、養護教諭は、一つの学校に常勤しており、学校で唯一医学的知識を持つ教員として、一人一人の子どもの全人的な成長を支援しています。
 また、集団の健康維持のためにも活動しています。健診や調査でわかった健康課題を解決するため健康教育の推進や、新型コロナウィルスやインフルエンザといった感染症への対応も重要な仕事です。私は、保健室という場の存在にも大きな価値を感じてきました。けがや病気の時だけでなく、友だちとのトラブルの相談等々で、日々、多くの子どもたちが来室します。また、教員、保護者からの相談も多く持ち込まれます。

いつでも誰でも受け入れてもらえる場としての保健室。そして、そこにいる養護教諭は、学校になくてはならない存在だと言えるでしょう。

 

 

  子どものために、何を(コロナ禍に思う) 2020.7.18日掲載

 

コロナ禍の大変な時期だったからこそ、子どもにとって何が大事かを考えられたと思いますし、その思いを忘れないようにしたいと思います。

 

新型コロナウィルス感染症の流行に伴い、学校は約3ヶ月間の休校を余儀なくされました。この間TVやSNS等で専門家から一般市民まで盛んに議論していたのは、子どもの「学習の遅れをどうするか」ということでした。

そのような中、学校教育を担う教師達は、勤務校はもちろん、それぞれが参加する教育サークルでもリモート会議を開くなどして休校中や学校再開後の具達的な動きについて情報交換を行っていました。


私も学校再開の2週間ほど前に、ある教育関係のリモート研修会で提案する機会を頂きました。参加者50名7割は、学級担任等の教員で、3割は保護者ら教員外。テーマは「今の子どもたちのために大人ができること」です。まず、学校再開にあたり心配なことを出し合いましたが、その内容は、ほぼ子どもの心身に関するものでした。

私は「生活リズムや安心感が揺らいだ状態で、子どもの学習意欲を高めることは難しいこと」を、心理学者の説を示しながら説明しました。話し合いの結果、最終的に参加者全員で共有した「今、大人ができること」は、ちまたで懸念される「学力保障」ではなく、「子どもたちの心身の健康を守り不安に寄り添うこと」でした。

今、子どもたちは大人同様、不安の中で過ごしています。しかし、子どもは、その不安を言葉にするのが難しく、体の不調や不適切な言動として表します。そのサインに気づき対処することが、今何より大切です。学習の遅れは取り戻せても、健康や命は取り戻すことが難しいのです。 

 

 

  「ヘルスリテラシー」を育む   2020.7.20日掲載

 

コロナ禍では、不安を煽る情報により過剰な「感染対策」が横行しました。今もこれからも確かな情報リテラシーが求められます。

 

「リテラシー」という言葉をご存じでしょうか。もともとは、読み書きの能力を示す言葉ですが、最近では、ある分野での知識や技能、能力という意味で使われています。正しい情報を選び取り活用する「情報リテラシー」という言葉を耳にしたことがある方も多いでしょう。

健康面では、正しい情報を基に行動する「ヘルスリテラシー」が必要だと言われています。今回は、新型コロナウイルス感染症流行下の「ヘルスリテラシー」について考えたいと思います。

例えば、全員がマスク着用の上、フェイスシールドをして授業を受ける。周りに誰もいなくてもマスクを着用する。これは必要でしょうか?

必要だとすれば、何を根拠にそう言えるでしょうか。
 新型コロナウイルスは、主に飛沫と接触により感染するとされています。これを根拠とすれば、人との距離が保てない時に飛沫を飛ばさないようマスクをする。感染者の飛沫がかかった場所を触る可能性を考え石けんで手を洗う(または、消毒をする)。この二つが、感染防止の基本です。そう考えると、先に挙げた例は過剰な行動だと言えないでしょうか。 
 私は、このような過剰な行動が起きるは、根拠が明確でなく、不安を煽る情報に振り回された結果起きると考えています。

一方、日本の感染者が諸外国に比べ少ないのは、衛生観念の浸透や保健教育の徹底によるものだとも言われています。今後も、新たな健康問題が起きる可能性は否定できません。確かなヘルスリテラシーを育成する学校での保健教育はますます重要となるでしょう。

 

 「コロナごっこ」への対応(安心を与える)   2020.7.27日掲載

 

人の脳は、不安に対していち早く反応するようにできているそうです。不安な状況があるときに必要なのは、何より「安心」なのです。

 

 県内の学校は、遅いところでも8月上旬から夏休みに入ります。新型コロナウイルス感染症拡大防止のための休校が明けたのが6月。短い1学期となりました。私は初任者(今春採用の養護教諭)の指導で時々学校現場に行きますが、マスク着用など不自由がある中でも子どもたちは元気に過ごしているように見えます。

しかし、担当している初任者や知り合いの教員に聞くと、保健室に来る子どもが多く、「赤ちゃん返り」と見られる行動や落ち着きのなさなど何らかの影響を受けていると思える子どもも少なからずいるようです。その中で一つ気になったことがあります。「コロナだ!」とふざけている子どもがいたというのです。

東日本大震災後に子どもたちの「津波ごっこ」が話題になりました。「ごっこ遊び」には不安解消の意味があるので見守ることが大事だと言われおり、「コロナごっこ」も、基本同じでいいと思います。ただ、これが差別に繋がるなら話は別です。不安な気持ちに寄り添いつつ人を傷つけない解消方法を一緒に考えなければなりません。

コロナの場合、「えたいの知れないもの」への恐怖が子どもの不安とストレスに繋がっていると思われます。日本赤十字社の動画「ウィルスの次にやってくること」では、恐怖が与える影響と予防についてわかりやすく解説されています。この動画から学べるのは、必要以上に不安を煽るような報道振り回されず、生活を楽しむことの大切さです。基本的な予防を心がけつつ、楽しい夏休みを過ごしたいですね。

 

 

 健全に生きるための性教育   2020.8.3日掲載

 

人が生きて行く上で性の問題は切り離せないものです。子どもが、不十分且つ誤った情報に触れられる現代。正しい性の指導が必要です。

先日、養護教諭の専門誌で、ある記事を目にしました。一斉休校期間中、数カ所の電話相談窓口で3月から中高生の妊娠相談が急増し、4月には過去最高の相談件数を記録したというのです。思いがけない妊娠に関する相談窓口「小さないのちのドア」でも4月には通常の3倍に。また、全体の2割程度だった十代の相談が7割を越え、最も若い相談者は小学4年生だったと記事は伝えています。

実は熊本地震の一年ほど後に生徒指導上の問題が多発しました。地震によるストレスの影響が考えられます。では、今回の若年層の妊娠相談件数増加についてはどうでしょうか。コロナ禍で大人の目が届かない中、不安を癒すための性行動が増えたと考えられるかもしれません。新型コロナウイルスの感染者が再度増加し始めた中で、子どもたちは夏休みを迎えます。子どもたちの行動に気を配る必要があるでしょう。

随分前のことですが、性教育に対して「寝た子を起こすな」という主張がされたことがありました。読者の皆さんは性に関する指導に対し、どのような意見をお持ちでしょうか。私は、ネットが発達し、ストレス過多の状態にある現代では、むしろ「寝た子がきちんと起こしてあげる」ことが必要ではないかとはないかと思っています。

性教育は正しい知識や人間関係に関するスキルを身に付けるための教育です。大人の色眼鏡で捉えず、子どもが心身共に健全に生きていくための性教育が、このような時代だからこそ求められていると言えるでしょう。

 

 

 

 

 性イメージの形成   2020.8.17日掲載

 

 幼児期から性器が命に関わる大切な器官であることや、日常の中での人間関係の学びが、子どもの性イメージを作ると思っています。

 

前回、性教育は正しい知識や人間関係のスキルを身に付ける教育だと述べました。それがどのようなものか私が小学校低学年に行っていた指導を通して考えて見たいと思います。

人間の体で外から見える体の器官の名前を確認し、その働きを考えるという内容です。「どの器官も重要な働きをしており、特に性器は命に関わる大切な器官」「水着で覆われる部分は『プライベートゾーン』といい、自分で守る場所だ」と伝えます。子どもと接していると、低学年でも既に「性器=恥ずかしい、卑猥」という感覚を持っていることに気づきます。この指導は、そのような感覚を変えたいと思い、この指導を始めました。

子どものせいに対するイメージ形成には、日々見聞きするいわゆる「下ネタ」や、逆に性の話題を避ける大人の言動が影響すると思われます。とは言え、家庭で科学的な知識をかしこまって教える必要はありません。暮らしの中で子どもから投げかけられる疑問や質問にできる範囲で答えること、健全な性イメージが持てる言動を心がけることが家庭の役割だと思います。

人間関係のスキルについては、英国のテムズバレー警察署が作ったIt's simple as teaという動画が参考になります。性行為を紅茶を飲むことに置き換え、同意が不可欠なことや、相手の気持ちを思いやる大切さを伝えています。日々の生活場面でそれらのことを伝えていくことが大切で、それが子どもの健全な性行動にも繋がると考えます。

 

 

 

 マルトリートメント  2020.8.24日掲載

 

 良かれと思っている「躾」が、実は子どもを傷つけ、苦しめていることがあります。マルトリートメント(不適切な養育)と呼ばれます。

 

 厚生労働省は昨年8月に2018度の児童虐待相談対応件数が過去最多を更新したことを発表しました。虐待と言うと暴力行為を思い浮かべる方も多いと思いますが、身体的虐待の他に、ネグレクト(育児放棄・怠慢)、心理的虐待(言葉の暴力や無視)、性的虐待(子どもへの性行為の強要等)の四つに分類されます。厚生労働省の統計で最も多かったのは心理的虐待で55.3%を占めていました。 ※2018年度以降も増え続け、第1位は毎年度心理的虐待で、60%前後を占めている

ところで、多くの方が虐待を他人事と感じておられるのではないでしょうか。しかし、熊本出身で虐待が脳に与える影響の研究で有名な福井大学の友田明美教授は、虐待とまではいかずとも「マルトリートメント」と呼ばれる子どもへの不適切な関わりが脳に影響を与え、心の問題を起こすことを指摘しています。
 この指摘は、私の学校現場での経験からもうなずけるものです。よかれと思い意図せず心理的な虐待に近い言動を子どもに向けておられる保護者の存在を感じてきたのです。

多く出会うのは、多動などがあって育てにくい子どもに対して叱責や暴言を繰り返す保護者。また、親の理想に近づけようと子どもの意志を尊重せず、自分の価値を押しつけ子どもをコントロールしようとする保護者です。

長引く体調不良やリストカットなどの不適切な行為がある子どもの話を聞くと、背景に、保護者からのストレスを抱えている子どもが少なからずいるのも事実です。継続的に続くこのような親からのストレスは、ある意味では心理的虐待と言えるでしょう。

 

 

 

 

 困難を解決する力  2020.8.31日掲載

 

 子どもの経験を奪うこと=子どもから自立のための力を奪うこと。子どもを見守り必要な時に手助けする。それが親の役割です。

 

  以前受けた教育心理に関する研修で講師から投げかけられた質問です。みなさんなら次のどの場面で声をかけますか。①1人の子どもがブランコを独り占めしている。②順番を待っている子どもが待ちきれず泣き出す。③取っ組み合いのケンカになる。

私が子育てについての講話をする際、参加者に同じ質問をしてみるとほとんどの方が①または2に挙手されます。事が起こる前にしっかりと諭すことで行動の善しあしを学ばせようという考えからでしょう。私自身もこの質問が投げかけられたときに①か②で迷った一人です。しかし、講師の見解は③です。講師は子どもの頃に自分でトラブルを解決する経験が大切だと解説しました。

自分勝手な行動が他の人を不快にする。ケンカをしたら痛い思いをする等の経験を通して人との関わり方や自分の行動のあり方を学ぶことは、子どもが社会性をつけていくために必要です。しかし、学校現場で子どもたちを見ていると、そのような経験の機会が不足していたと思われる子どもがいることに気づきます。子どもが嫌な思いをしないようにと、親が「転ばぬ先の杖」を与え過ぎたため、困難があると周りや学校のせいにする。そして、親が学校に苦情を訴える。学校でそのような事例に出合うことは少なくありません。

親が手を出しすぎる子育ては、結果的に子どもが自分で困難を乗り越えたり解決したりする力を奪ってしまいます。親がすべきことは、困難に立ち向かう子どもを見守り、励まし、子どもが自分で立つための力を育てることではないでしょうか。